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妖精の呼び出し方

執筆者:佐佐木あつし

漫画的オカルトな話

ホラー・オカルト系の作品は今も昔も根強いファンがいる。
ゾンビモノの映画やドラマは毎年のように新作が作られるし、日本のホラーは「リング」に始まり世界的にも確固たる地位を保ち、漫画では「屍鬼」や「アイアムアヒーロー」、そして「カラダ探し」などが人気を誇っている。

昔話をすると、1970年台に週刊少年マガジンに連載されていた作品の中で、「うしろの百太郎」という、オカルト漫画の金字塔的な作品がある。
心霊漫画の巨匠。つのだじろう先生が描かれた名作の一つである。

この作品は、同時期に少年チャンピオンで連載されていた「恐怖新聞」と並び、1975年前後の日本を空前のオカルトブームに導いた火付け役的な作品だった。

当時はユリ・ゲラーの来日による超能力ブームや矢口高雄先生が描いた「幻の怪蛇バチヘビ」のツチノコ探索ブーム。そして、つのだ先生が作品内で紹介された「コックリさん」や「念写」などが社会問題ともなり、連日のようにテレビ・ラジオではオカルト的な番組が放映され、大人も子供も日本総国民、オカルトマニアだらけになるという一大珍事を引き起こした時期でもあった。

そんな当時。つのだ先生の「うしろの百太郎」に描かれたエピソードの一つに、今も忘れられない、ある不思議なお話があった。

それが
表題にもなっている
「妖精の呼び出し方」なるものだ・・

妖精を呼び出す!?

その頃、まだ小学生だった僕は、その言葉にどれほど興奮しドキドキしたか。

しかも漫画の中にそのやり方がしっかり描きこまれているではないか?
用意するもの、

「円形の鏡」

ただそれだけである。

もう手元には当時の単行本は残ってないので、記憶を頼りに、順を追ってご紹介したいと思う。

妖精

妖精を呼び出す場所

まず、妖精を呼び出す場所だが、できれば神社やお寺など神聖で緑がたくさんある所の方が望ましい。
やはりこういった実験は形から入るべきなのだ。

普段、猫のトイレになっているような公園の砂場ではやはり趣向が乗らないし、妖精だってそんなところに呼び出されても困ってしまう。

というわけで、

円形の鏡を持ってその神聖な場所の中でも、人気が少なく、もっとも緑が多い場所を探す。

時間は夕方から深夜にかけてが良い。
妖精は恥ずかしがり屋だそうで、日中、人がいるところには現れないそうだ。

場所が確定したら、

其処に砂を盛って小さな山を作り。頂上部分を丸く平らにする。
ちょうど持ってきた鏡の大きさだ。

次に鏡の鏡面部分を上にして置き、そこに砂をふりかけて鏡面を隠す。

ここが妖精の遊び場、と言うか踊り場になるらしい。
次に妖精がこの踊り場へ登って来るための階段を作る。

これですべての準備は万端である。
あとは静かにそこを立ち去り、明日の朝を待つばかりである。
当時はビデオなどないため、盗み撮りなんていうのも不可能だ。
そもそも、当時の小学生にはそんな知恵もお金もない。

なので、期待に胸を膨らませ、ベッドに入り、次の日の朝早くにそこを見に来ると・・・

妖精は現れるのか!?

なんと、階段に妖精の足跡があり、
頂上部分には妖精が踊った足跡が発見できる!はずなのだ・・

しかし・・・・

結局、其日の朝、妖精は現れなかった。

何か方法を間違えたのか?
何か見過ごした手順があったのではないか?

急いで家に帰り、何度も漫画を読み返しては手順を繰り返し読んだが、ミスらしいミスはしていない。

普通に考えるならそこで諦めてもおかしくないのだが、先にも書いたように、当時は空前のオカルトブームであり、オカルト的なものは全て「事実」であることが前提となっている。
少なくとも小学生の間では幽霊は存在し、超能力でスプーンは曲がるし、ツチノコもネッシーも全て存在するのが常識な世界に住んでいるのだ。

「妖精なんて、やっぱりいない!」などという否定的な気分には決してなったりしない。

何かが原因でたまたま妖精は現れなかった。
ただそれだけなのである。

妖精を信じる気持ち

子供の頃の不思議へのあこがれ、暗闇に対する恐怖、そして冒険への夢は大切だ。

江戸時代の暗闇の中には、本当に妖怪や鬼は存在したであろうし、神や仏が住まう天上界や地獄。それら人間界と隣接する世界は現実世界にリンクしていた。それらが実生活において存在する事が常識だった時代が持つ懐の深さは感慨深い。

僕はあの時現れてくれなかった妖精を今でも心の何処かで信じている。

そうでなければ、あの時、こっそりおふくろの手鏡を持っていって壊した事がばれて、死ぬほど怒られた記憶だけが残るのでは、あまりにも切ない話になってしまうからだ。

妖精の家

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