漫画の感想

『ベルセルク』を考える

執筆者:佐佐木あつし

『ベルセルク』とは

三浦建太郎氏とはまだお合いしたことがない。
でも、僕は氏の作品の大ファンである。

なので、同業者のそれとしてではなく、今回の記事はあくまでも一ファンとして三浦建太郎作品と対峙したい。

『ベルセルク』は1989年から現在まで、白泉社(ヤングアニマル)において連載中で2017年5月現在、38巻まで刊行されており、アニメも板垣伸監督の手により2017年4月から第2クールがスタートし、ファンを魅了している。

まだ作品を読んだことのない方のために、ざっくりと内容をご説明します。
『ベルセルク』はいわゆるダークファンタジーで、中世ヨーロッパ風の世界に於いて、隻眼隻腕の主人公ガッツと闇の世界との間で繰り広げられる壮絶な戦いを描いた一大叙事詩である。その戦いは凄惨を極め、重厚な画風綿密なキャラクター設定完璧な世界観に裏付けされた物語は世界中で愛されている。

クトゥルー神話をご存じの方であれば、一種それにちかい「恐怖」がこの作品のテーマに内包されていることに気づかれるだろう。
主人公のガッツの生きている世界は絶望があらゆる形で顕現化しており、希望の光すら届かない暗黒時代である。人々が持つ絶望的な暗黒は王といえども、その呪縛からは離れられない。それほど混沌とした世界において主人公のガッツはあくまでも人間として超越者と対峙し、あがき苦しみのたうち回り体中の骨が文字通り砕かれ血を吹き流しながら、それでも敵に立ち向かっていく。そんな壮大な物語が『ベルセルク』なのである。

ベルセルクとデビルマンの類似性と相違点

話が少し外に逸れるが、過去に描かれたダークファンタジーの金字塔にデビルマンがある。
デビルマンは永井豪先生の手により1972年から1973年に少年マガジン(講談社)で連載された伝説的な名作である。
ホラー映画、エクソシストが1973年に上映されていることを鑑みると、永井先生の先見性の高さと天才性がここではっきりと分かる。
エクソシストは少女に乗り移った悪魔とエクソシスト(悪魔祓い師)の壮絶な戦いだが、デビルマンは主人公が自らの身体に悪魔を乗り移らせ、その力を奪い、人類の敵である悪魔軍団と対峙する構図を取っている。
エクソシストとデビルマンでは、悪魔による憑依をエピソードの中核に持ってきていながらも、そのアプローチの方法論は天と地ほども違う。しかし敵となる対象者はどちらも「悪魔」である。ただしデビルマンに関しては物語が進むにつれ敵となる対象者が変化していき、最終的には主人公、不動明(デビルマン)の親友である飛鳥了(堕天使サタン)が最大の敵として主人公の前に立ちはだかり、二人の間にあった友情や愛、裏切りと憎しみ、葛藤のはての絶望などが、最終的に世界を滅ぼすに至る。

ここで本稿の『ベルセルク』との類似性が少し垣間見ることができる。
デビルマンにおける明と了の関係性と『ベルセルク』の主人公ガッツとゴッドハンド(守護天使)へと転生したグリフィスの関係性とがまるで合わせ鏡のように見事に重なっていく。

しかし、今の段階ではあるが、相違点として言わねばならないのは、あくまでもガッツは生身の人間なのだということである。
狂戦士(バーサーカー・berserker。北欧神話ではベルセルク・Berserk)の鎧を纏い、超戦士として使徒(降魔の儀によって人から転生した巨大な力を持った魔物)とも対等に戦えるようになるが、その鎧は纏ったものの身体に様々な障害や感覚異常を引き起こし確実に生命を蝕んでいく。
人間対超越者という、この圧倒的な戦力差がこそが『ベルセルク』の面白みの深淵部分にある。
地獄の中に放り込まれた亡者は皆、絶望し、泣きわめき、悲しみ抜いて凄惨な苦痛を永遠に味わう。しかしガッツは違うのだ、ガッツはたとえどんな境遇に陥っても諦めることはない、絶望を目の前にしながらも「抗う」ものとして生きようとする。なぜなら彼はどこまでいってもただの人間でしか無く超能力などは持っていない。ただ大切なものを守るために抗うしかないのである。我々はそのストレートな生き様に魅了されるのだ。

ベルセルクが内包する様々な要素

『ベルセルク』を読んでいると、そこに様々な世界観やオマージュを感じる。
たとえば、それは先に書いた「デビルマン」であったり「三國志」であったり、または「グイン・サーガ」「コブラ」「ドラゴンクエスト」そして「クトルー神話」に「蛮人王コナン」「北欧神話」などが頭に思い浮かぶ。
だが『ベルセルク』は、その中のどれでもなく。やはり『ベルセルク』として屹立している。
それをわかりやすく説明すると、一つは誰も見たことがない画面が所狭しと重厚な筆致で描かれているということでも説明がつけられる。

単行本7巻のドルドレイ攻略戦も去ることながら、単行本3巻、4巻の黄金時代あたりで描かれた攻城戦のシーンなどは圧巻である。当然アシスタントさんの技量の素晴らしさもあるのだが、こういった版画的な描写の多用は今まで他に類を見なかったのは間違いない。

ベルセルク攻城戦
ベルセルク攻城戦
出典:「ベルセルク」白泉社 三浦建太郎
※以下出典同じ

こうした細密で丁寧な作画により、『ベルセルク』は際立ったオリジナル性を帯びていく。今の時代ならば大軍団を描くにしてもコンピュータを使えばいくらでも軍団は増殖できる。
しかし、この作品においてはそれがまったく見当たらない。コピー&ペーストされた人間などは一人もおらず、まさに兵馬俑のように皆、一人一人の人間が描かれているのだ。

ベルセルク人物描き込み
ベルセルク人物描き込み
ひとりひとり細密に描かれた絵

この描き込みは、そうそう真似はできない。もはや商業雑誌のペースでは間に合わないのも無理はない。最新巻の単行本が3年がかりで発売されるのも、この絵を見れば納得せざるを得ない。それほどの、もはや異常とも言えるほどの画面作りなのだ。

こうした氏の作品世界が広がり、後にその規模と登場人物の多さで互いに影響を与えたと言われる作品に『グイン・サーガ』(栗本薫著)がある。
この作品は栗本薫氏の死後も五代ゆう氏、宵野ゆめ氏による正編の続編が続けられている。

「アルスラーン戦記」(田中芳樹著)も1986年に第1巻が発売されて以来、現在も新刊が待たれている長編小説である。
このようにもしかするとファンタジー作品においてその世界観の広がりはある意味、必然とも言え、それゆえにその創作、制作にも時間がかかるのかもしれない。しかし、こうした一つひとつの作品が影響しあい、共鳴し、そこからまた新しい旋律が生まれてくるのならば、我々読者は満を持して待てばよいのである。

これからのベルセルク

僕は本誌での『ベルセルク』は読まずにただひたすら単行本を待っている。
作品の性質上、とぎれとぎれに読むのではなく、できれば続けて、腰を据え、しっかりと読みたいからである。

4月から第2クールが始まったアニメも楽しみだ。
確かに所々パソコン処理された人物の動きや表情は違和感を感じるが、それは製作費の面から見れば仕方ないことだと思えるし、それ以上にあれほど描き込まれた原作の世界観をよく再現していると思う。第2クールでは「断罪編」のあと、ガッツの旅にイシドロやセルピコ、ファルネーゼなどの心強い仲間が合流しエルフヘルムを目指す。

個人的にはロスト・チルドレンの章での空中戦を是非見たかったが、それはわがままというものなのだろうか。中世世界での空中戦などはまさに聞いたことが無いし、音速で飛ぶ使徒にどうやってガッツが挑むかなどというストーリー展開は考えただけでもワクワクするではないか。

まあ、しかしそれも

「すべては、因果の流れの中に―」

この作中に出てくる言葉の中に全てを託し
これから先も『ベルセルク』の新作を待とうと思う。

19世紀末に描かれた版画
19世紀末に描かれた版画
19世紀末に描かれた版画
19世紀末に描かれた版画
出典:建物カット集1ヨーロッパアジア ジム・ハンター編(マール社)

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